1997年8月26日(火) Petra 晴れ
朝5時に起きて、有名なペトラの遺跡へと行く。6時少し過ぎに入場。あまりにも高い入場料に驚く。お金を払わずに、入場口を通らずに、隣の丘を越えて隠れて入る人もいるそうだ。
正規に入場し進んで行くと、すぐに昔の岩窟墓がいくつか見える。まだ序の口の部分のものでも、トルコで見た岩窟墓と同じくらいの大きさがある。
さらに進むと、Siqと言う岩の裂けめがある。両側にそそり立つ岸壁を眺めながら進む。途中、朝3時頃に起きて山を越えて進入してきた日本人の若者4人が、岩陰に隠れているのに出会う。うまく係員に見つからずに入ることができたようだが、何時間も大変なことだったろう。しかし、この入場料の高さは、貧乏旅行者にはこたえるだろうなとも思う。
さらに進むと、岩の裂けめから巨大な神殿が顔を見せる。まだ日があたっていないが、きれいなピンクがかった赤色をしている。ほぼだれも人のいないEL KHAZNEHはさすがに素晴らしい。
先ほどの隠れて入った若者のひとりが、この場所に係員がいないか偵察に来て、いないのを確認するともう見つかる危険がないことを知り、隠れている3人の仲間を呼びに行った。
比較対象がなく、全体を見ているだけでは感覚が麻痺してしまい、それほど大きいとは思えないのだが、近づいて柱のところまで行った妻の大きさと比べると、思わず唸ってしまうほど大きい建物だということに改めて気づく。こんなに凄まじい岩窟墓を見るのは、これが初めてで最後だろう。大きいだけでなく、その装飾の美しさと仕上がりの素晴らしさは本当に凄いとしか言いようがない。(※EL KHAZNEH 高さ43m × 幅30m)

7時くらいになり、次第に人が増え始めた。まだまだEL KHAZNEHには太陽の光がささないので、考えを変えて、まだ人のほとんどいない先へと進むことにする。仕上がりや美しさではかなり引けを取るが、大きさはEL KHAZNEHに匹敵するほどの岩窟墓群が続き、そのスケールの大きさをいやというほど感じる。
劇場に至る。劇場は大きな方ではないが、座席はすべて岩を彫ってつくったものなので、これまで見たどの遺跡とも違い興味深かった。本当にこの遺跡は石の文明でも、石を重ねる文明ではなく、どこまでも執念としか思えないほど岩を彫り、削る文明だということがわかる。もの凄さを感じる。
岩窟墓は、トルコのリキヤ文明とかに特有のものかと思っていたが、とんでもなかった。中東一帯に分布する一般的な墓のスタイルのようだ。
Colonnadeを通り、Qasl al Bint(大寺院)にて休憩していた時、昨日の英国人のKevinが現れ、行動を共にすることになる。ずっと一番奥のEL DEIR(修道院)までひたすら坂道を上る。だれもいない遺跡の山道を歩くのもまた良いものだ。途中、Kevinがジョークを連発していたが、年齢と出っ張った腹には勝てないらしく、息切れして苦しそうだ。途中休憩ととりながら、約40~50分かけてEL DEIRに到着。

ED DEIRは、なんとEL KHAZNEHよりも大きく、高さ50m、幅40mという、とてつもないスケールだった。装飾などはEL KHAZNEHなどよりもずっとシンプルだが、保存状態は良い。このあたりの岩は、いろんな色の層にわかれていたり、木目のようになっていたりと珍しい。また、途中で見た岸壁がそそり立つ景色も絶景だった。

この大墳墓の前にある岩の上でしばらくボーっとしながら過ごす。また先に進み、岩山の上から美しい景色を堪能する。ワディ・アラバや遠くはイスラエルの方まで見えている。空気が乾燥しているので、スモッグのような空気の層がなければ、間違いなく地中海まで見渡せることだろう。それにしても緑のほとんどない不毛の地だ。岩山と砂漠しかない。その分、空の青さが素晴らしい。
また、遺跡の方に戻り歩く。博物館やビザンチンの墓などを見て、ホテルに帰ることにする。1日で十分見て回ることができるようだが、2日券を買ってしまったので、明日見る分をとっておくことにする。帰りは登り坂が続く。ホテルまで何kmあるのだろう。ホテルに着くころには、疲れてしまった。
夕食はホテルをやめて外に行く。Kevinと3人で食事をとる。いろいろとイギリスのことを聞くことができ、おもしろいひと時だった。
バカな日本人とブラジル人が宿代を踏み倒して逃げたそうだ。恥ずかしい限りだ。
本日の支出 約46.4USD

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