6月21日(土) 晴 ダルヤン(Dalyan)~ヒサルオニュ(Hisarönü)
朝10時のドルムシェでダルヤンを出発し、約1時間20分でフェティエに着く。そこからドルムシェに乗り継ぎ、ヒサルオニュへと向かう。ヒサルオニュでバスを降りると、またもや日本語ペラペラの絨毯屋がいた。ついでだから、安宿のある方を聞くと、ちょうど停まったタクシーの運転手に聞いてくれた。安い宿に連れて行ってくれるというので、そのタクシーに乗る。実はこのタクシー運転手が宿のオーナーで、1泊1,000,000TL(約6.4USD)にしてくれた。プール付きでなかなか良さそうだ。荷物を部屋に置き、カヤキョイへと向かう。
カヤキョイは、住民の大部分がギリシャ人で、宗教もギリシャ正教徒の村だったのだが、70年程前の1923年にトルコとギリシャの政府間で、キリスト教徒とイスラム教徒の住民交換協定が結ばれたことで、キリスト教徒の住民はギリシャに移住し、街は廃墟となったそうだ。
今も住民が消えた村が、廃墟のまま残されている。
歩いて行くことにする。4kmほどあるそうだ。気温は暑いが、なかなか楽しい道だ。だが、途中で妻がもう歩きたくないと言って、手を挙げて走っているバスを止めてしまった。
バスを降りた後、廃墟の中を歩いく。途中矢印があり、ウルデニズへあと5kmと書いてあったので、そっちの道に進む。70年の時は、この村を完全に廃墟と化していた。完全に遺跡となっていた。この廃墟に来る前は、突然人々がいなくなった町がそのままの姿で目の前に現れるという神秘的な光景を期待していたのだが、実際にはほとんどローマ時代の遺跡と大差ない遺跡だった。70年という時は、村を遺跡にしてしまうのに十分な時間だと感じた。
壁にはところどころに色のついた化粧漆喰が残っていた。カテドラルの廃墟には、まだモザイクがあった。そこで物を売っていた青年が、ここはクリミア人が作ったのだと教えてくれた。
ゆっくり歩いていたら、先を歩く妻にかなり引き離されてしまう。山の頂上あたりで姿を見失った。そのまま、ウルデニズの方へとトレッキングルートを進む。山の上の方から見るエーゲ海の美しさに浸っていると、後ろから妻がやって来た。どうやら知らないうちに妻を追い抜いていたようだ。
トレッキングを続ける。なかなか気持ちの良い道だった。そして、一人も人と出会わなかった。何度か道に迷ったりしながら汗だくになって進んでいく。どのくらい経っただろうか。やっとウルデニズのビーチが見えてきた。すばらしく水の色がきれいだ。
やっと海にたどり着いたところ海に入る。海辺には椅子がたくさんあった。海水面は温められていて暖かい。が、下の層は冷たい。エーゲ海だなと思う。小さい魚だが、少しばかり魚を見ることができたので良かった。しかしよく浮く海だった。塩分濃度が高いのだろう。
ゆっくりしたかったが、ウルデニズのビーチも見ておきたかったので移動。また、1kmほど歩いて別のビーチに行く。こちらビーチは砂ではなく、玉砂利のような石ころだった。砂利のせいか、波打ち際も水がにごらず透明だ。何キロくらいあるだろうか?この玉砂利のビーチがずっと向こう側まで続き、びっしりと椅子とパラソルが並んでいる。
もう夕方になってきていたので人は少なく、景色が素晴らしい。海に入ると、冷たいがとても気持ちが良い。鱒くらいの大きさの魚を見ることができた。
帰りはドルムシェ。お腹が減ったが、ここはリゾート地なので、物価が相当高くいやになる。レストランはかなり高いので、パンにチーズでもはさんで食べようかと思ったが、スライスチーズ(6枚入)がひとつで650,000TL(約4.5USD)もする。イギリス人が多いのか、英ポンド表示の看板が目立つ。
夕食は結局550,000TL(約3.8USD)でマスのフライを食べることにした。セットでビールやチップス、サラダ付。これがなかなか美味しかった。鱒のフライにしてあるので、仕方ないなと思っていたのだが、出て来た料理を見て気分が変わる。きれいに揚がったマスに、ニンニクやオイルソースをたっぷりかけてあり、レモンを絞って食べる。シンプルで本当に美味しかった。満足。
夕食後、宿に戻りシャワーを浴びて夕涼み。月が山間から生まれてくるように顔を出し、明るく輝いていた。チャイがここの気候風土に合っているのか、とても美味しく感じる。
夜の11時半頃水を買いに外に出ると、メイン通りはどこから這い出て来たのかと思うほど人があふれていた。ディスコの音がうるさい。もっと静かだったら良いのにと思う。
本日の支出 約16.7USD
コメント