アジア旅行記 1997年6月22日 トルコ(ヒサルオニュ)

6月22日(日) 晴  ヒサルオニュ(Hisarönü)

もうどれくらい雨が降っていないだろうか。今日も雲ひとつない晴天。暑い。

朝からサクルケント(Saklekent)に向かう。フェティエに行って、まず岩窟墓を見学。あのダルヤンにあったものと同じ形をしているが、今回は中まで入ることができた。

坂をずっと登っていくと、いくつか小さな岩窟墓が見えてくる。もっと上がると、急坂の上にメインの墓があったので、それを目指す。ふうふう言いながら行き着くと、それは10mほどもあろうかと思う大きな墓だった。

岩窟墓は、神殿のような形にしてある。柱はイオニア式の柱頭だ。入口は大きなドアがあるが、間近で見るとこれは岩を扉の形に彫ったものだとわかる。その一部が破れていて、中に入ることができるのだが、中で用を足す不心得者が多いらしく、臭いがひどくてとても中に入れたものではない。

外から覗くと、中には大きな石棺を入れるだけのスペースがある。しかし、何のためにこんなものを作ったのだろうか。

その後、ドルムシェでサクルケントを目指す。マスのグリルが目当てだ。ここもエミコさんお薦めの渓谷だ。フェティエから1時間程ドルムシェに揺られる。

この渓谷も山が割れてできたのだろうか。ちょうどメキシコチャパス州で行った、スミデロ渓谷の規模を小さくしたような感じの崖が聳え立っている。入場料を支払い進むと、日本ではとても考えられないような、今にも壊れそうな板を貼り合わせたような、川の上にせり出した道と言うか、橋と言うか、そんなところを通って河原に出る。

この陸地がレストランになっており、人々が渓谷の川風に涼んでいる。岩からほとばしり出る水が川に合流しているが、この水が氷のように冷たい。

レストランでマスを食べる。レストランで水に足をつけたら、1分も我慢できないほど冷たかった。マス自体は、前日のマスの方が美味しかった。変わった青色の美しいトンボがいた。

食後にあたりを散歩する。はだしになって、石ころだらけの所を歩くのはつらかったが、大自然を楽しむ。山からの水が小さな滝となって、勢いよく川に合流していた。それにしても水が冷たい。

また、1時間半ほどかかりホテルに帰る。宿のプールでひと泳ぎ。10歳くらいの宿の息子と泳ぎのレースをやったが、この小さいトルコ人の負けず嫌いには参った。

洗濯して絨毯屋に遊びに行く。絨毯屋によると、ドイツ人は良い物にお金をかけ、ラテン系(スペイン、イタリア)は貧しいが、良いものを買っていくそうだ。イギリス人はケチで気位ばかり高く、良いものを見る目がないそうだ。そして、なんとオーストラリア人のバックパッカーがよく絨毯を買っていくのだそうだ。バックパッカーなのに、どこにそんなお金があるのだろうか。オーストラリア人のバックパッカーはイギリス人よりもはるかに良いお客ならしい。その他、トルコ人はどちらかというとイタリア人やギリシャ人と顔が似ていて、アラブ人やペルシャ人とは全然違うらしい。また、コンヤの悪名高き人の話題だとか、驚いたことに、自分たちがイスタンブールで出会った日本語を話せるトルコ人のほとんどを知っていた。絨毯業界は狭いようで、あらゆる噂が飛び交っているようだった。

この絨毯屋のOさんは、日本が好きなようで、日本語ジャーナルやひらがなタイムスを日本から送ってもらって読んでいるとのこと。他の絨毯屋よりも人が良く、本当に日本が好きなようだ。このOさんは26歳だが、どうみても30半ばにしか見えない。髪の毛も薄い。彼は14歳から絨毯屋で働いているそうだ。いろいろと苦労もあったのだろう。

品實の支出 約17.2USD

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