アジア旅行記 1997年7月19日 トルコ(カフタ~アンタクヤ)

旅日記

1997年7月19日(土) Kahta ⇒ Antakya    晴

深夜1時過ぎに目を覚まし、AM2時のツアー出発に備える。バンに乗り込み、ネムルト山に向かう。途中ティータイム等を含め、AM5時前にはネムルト山に到着。Kahtaを出てすぐに、多分石油を採掘しているであろう巨大な機械類を見る。今日は満月に近く、月に浮かび上がる風景はとても幻想的に感じた。

ネムルト山に到着して山を登る。頂上まで15分くらいであろうか、急な坂を息を切らして登っていく。少し到着が遅く、登っている途中に、あの大きなオレンジ色をした素晴らしい月は、西の空の彼方へと消えて行ってしまった。この月をゆっくりと楽しむことができなかったのは残念だった。

真夏とはいえ、さすがに山頂は2,150mもあり、とても寒い。乾燥地帯の夜から朝にかけては夏でも冷える。台風のような強風が吹きすさび、体温をどんどん奪っていく。フリースとウィンドブレーカーを持って行ったが、それでも寒くて仕方がなかった。ツアー客の中には、Tシャツのままの人もいたが、相当に堪えたことだろう。

もう東の空は明るくなり始めている。ユーフラテス川の源流が光を反射して美しい。少しずつ日が昇ってくる。コンマゲネ王国のアンティオコス1世の体や、ゼウスやアポロ等ギリシャの神々の体、そして地震によって落ちてしまったそれぞれの頭を少しずつ赤く染めていく。

神々の胴体の後ろには、小高く作られた古墳の山が聳え、その後ろにはどこまでも青い空と光輝く星が見えている。素晴らしい光景が広がるが、残念なことに、寒さでカメラの電池が機能せず、シャッターが押せない。

西側にまわると、また同じように神々がいるのだが、こちらの方は4~5体分の頭部がほとんど損傷なく立っており、異様な雰囲気を醸し出している。とにかく寒かったが、来て良かったと思わせる何かがあった。

山を下りて、次のコンマゲネ王朝の夏の離宮(エスキカフタ)へと向かう。ここもまた急な丘の上に建っていて、坂を上るのになかなか骨が折れる。ここまで来たら、さすがに気温も上がり暑くなってきた。寒かったり、暑かったり、山を登ったり、ハードなツアーだ。ここには、アンティオコス1世の父ミトリダテス王が、ヘラクレス神から王位を授かり握手しているレリーフがあり一見の価値がある。しかしカメラが機能しない。

離宮の西には1,300年代マムルーク朝の城跡、イエニ・カレが険しい岩山の上に建っていた。他、コンマゲネ王朝の墓カラクシュや、ローマ時代の紀元200年ころのローマ橋ジェンデレ橋などを見学。午前9時頃にホテルへと戻る。道沿いにはつつじに似た花が咲き誇り、羊たちが群れを成す。そんなすばらしい風景を見ることができてとても良かった。

午前9時半のメルシン行のバスにどうにか間に合う。14時頃にオスマニエに着き、ドルムシュでイスケンデルンまで行く。このドルムシュの中で、トルコ人の母親たちと知り合う。ひとりは大学卒で英語が話せる、2才の男の子の母親。イズミール出身の旦那さんがいて、今はAdiyamanに住んでいるが、いとこの結婚式のために来たのだそうだ。もうひとりは2人の子ども、12才と4才くらいの娘を連れている。祖父も一緒だ。母娘共にとても明るく、好奇心旺盛だった。12才の女の子は指に障害があるが、そんなことはまったく気にしない明るい子だった。もうひとりは、10才くらいの男の子の母親。スカーフをしていて伝統的な感じがした。男の子はとても恥ずかしがり屋なのか、ほとんどしゃべらなかったが、とても温かい感じの母子だった。車中で写真を撮って、いつか送ってあげることにする。

イシュケンデルムでまた乗り換え。大卒の母親が、いろいろと手伝ってくれたため、スムーズに乗り換えることができてありがたかった。アンタクヤに着いたのは、もう17時近くになっていた。イシュケンデルム近辺の海沿いには工場が建ち並び、煙がもうもうと噴き出していた。自然の中を通ってきた身にとっては、胸が苦しくなりそうな、何か悲しい気分にさせるものだった。

アンタクヤは昔のアンティオキアだ。世界史によく出てくる都市だ。オトガル(バスステーション)からかなり歩き回ってホテルを探す。1泊2,000,000TL(トイレ・シャワー付)のGuneyホテルに決める。妻はハードスケジュールが祟ってか、体調を崩してしまった。アンタクヤは湿度が高く、とても暑く感じる。

本日の支出 約21.9USD

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