アジア旅行記 1997年7月21日 トルコ(アンタクヤ)~シリア(アレッポ) シリアへ

旅日記

1997年7月21日(月) Antakya (トルコ)⇒ Aleppo(シリア)  晴

朝8時のアレッポ行きのバスに乗るため7:30頃にはオトガル(バスステーション)に行く。8時になっても出発の気配がない。どうも乗る人が少ないようだ。待ちに待って、ようやく9時頃にアンタクヤを出発する。乗客は僅か5人ほど。約1時間でシリアとの国境に着く。トルコの出国はバスのドライバーが代行し、パスポートの受け取りだけ自分たちで行く。それからバスはまた少し走り、今度はシリアの入国審査だ。行く途中に遺跡があった。入国では入国カード2枚に必要事項を書き込み、パスポートと共に提出する。入国審査の係官から、シリアの後はどこに行くのかと聞かれる。次はイスラエルに行くのか行かないのかを遠回しに聞いてくる。イスラエルには行かないと伝え、無事入国を終える。出入国の検査は、所要約1時間程度かかった。荷物検査は日本人のためかノーチェックだった。

ドライバーがシリアの入国審査官や警察官に頼まれていたのだろう、彼らに毛布を買ってきてあげていたが、料金のことでもめて言い争いをしていた。シリアに入ると、ガソリンスタンドがボロボロなのがまず目に入った。やはり貧しい国なのだろうか。国境から約1時間でアレッポ(シリア名Haleb)に到着した。

バスから降りて、右も左もわからないところで、ホテルの客引きがツーリストホテルまで連れて行ってくれると言う。いったホテルはドミトリーしか空いておらず、3人部屋を2人で使用することでOK。荷物を置かせてもらいミュージアムに出かける。とにかくシリアに入ったら、アラブを感じる。トルコ等よりも混沌としていて、パワーがある。とにかく雑然とした第三世界に来たことを感じさせてくれる。街にはトルコよりもはるかに女性が多い。また、ほとんどの女性はスカーフをしていて、中には顔まで黒い布で覆った全身黒づくめの女性もいる。

民俗博物館をめざす。このミュージアムの近辺はキリスト教地区になっており、キリスト教の教会がある。このイスラム教国にキリスト教会とは意外な感じがするが、この国には全人口の10%ものキリスト教徒がいるそうだ。特にアレッポあたりは、昔トルコ人からの虐殺から逃れて来たアルメニア人たちがたくさん住んでいるそうだ。そのためか、またはロシア人が買い出しにやって来るのか、アラビア語の看板と共に、ロシア語の看板がたくさん見られた。

ミュージアム自体は大したことはなかったが、マムルーク様式とロココ様式の混ざった天井など珍しいものもあった。

そこから久しぶりにタクシーを拾いアレッポ城に行く。明日ミュージアムは休みだ。今日中に明日休みのところを見ておく必要があったのでタクシーを使う。これが思った以上に安い。僅かに50円だ。シリアは物価が安いと思った。

アレッポ城。この難攻不落の城、モンゴル軍も完全には征服できなかった城だけあって、堅牢なつくりになっている。小高い丘にあり、この丘には紀元前3千年頃から神殿があったそうだが、この城は中世から続く巨大な要塞となっている。入口から登っていくと、昔のレセプションルームとして使っていたのか、美しい内装の大きな謁見の間に出る。部屋は、アラブ風というか、かなり東洋的になってきた印象を受ける。木を多用し、装飾が東洋的なのだ。城内には劇場やモスク等もある。城の中のミュージアムは期待外れだった。また、この城から見渡すアレッポの市街は美しかった。灰色の街だ。家の屋根上には必ずパラボラアンテナが設置されていて、これが白い花を咲かせたように街を彩っていた。

またタクシーに乗り、考古学博物館へと向かう。入口に紀元前9世紀の巨大な像が置かれてあった。そのライオンの顔がまた愛嬌があって面白く笑えた。このような像が多数展示されていて見ごたえがあった。妻がここ2~3日、体調が悪くあまり食べていないので、少し疲れ気味。しばらく休み、クッキーを食べたら少し元気になったので、また展示物を見て回る。なかなか見ごたえのある博物館だった。

一度ホテルに戻ると、2人部屋に空きが出たので、その部屋に入れてもらうことにする。夕食は2人で90SYPと格安で美味しかった。ホテルではI君という日本人大学生が居たので、しばらくサロンで話をする。イスラム圏は男女間の関係がとても厳いため、若い男たちにホモセクシャルが多いらしく、イスラム圏を旅してきたI君は断るのに苦労しているとのことだった。

レート 1USD = 4.85SYP(シリアポンド)

本日の支出 約7.7USD

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