アジア旅行記 1997年7月8日 トルコ(アマスィヤ)

1997年7月8日(火) AMASYA  晴

トルコの北部、黒海沿岸の山脈の中にある町AMASYA(アマスィヤ)にてのんびりと過ごす。インフォメーションにて地図をもらい、橋を渡っていたら、男性が声をかけてきて、英語でしばらく話す。大学で化学を専攻するというこの男が、農場があるので見に来ないかというので、一応18時にインフォメーションで待ち合わせをして一旦別れる。

最初にHouse Museumへと行く。一般の民家をそのまま公開してあるところだ。大きな家で、キリムや絨毯をふんだんに使ってある。天井が高くて木でできている。ソファーが巨大で、その上であぐらをかけるようになっている。食事はテーブルではなく、床の絨毯の上に腰かけて食べる。家は大きくて豊かなイメージだ。川沿いのボロボロになった民家なども、修復すればこのような見事な建物なのだろう。

他、16世紀のモスクに寄った後、川沿いを散歩。町の人はのんびりとしてとても親切だ。良い町に来たなという思いだ。

途中、妻が腹痛になり、宿に戻る。帰る前に食事をとる。なすと芋と唐辛子と、羊肉を串にさして焼いたバーベキュー等を頼む。ここの羊肉(スペアリブ)は、このトルコ中で一番おいしく感じだ。たぶん、ものすごく新鮮な肉なのだろう。

ホテルで休憩。涼しい風が吹き込み、噴水の音がこれまた涼しげだ。とてもリラックスした気分となり、しばしウトウトする。

15時半頃からもう一度外出。ミュージアムに行く。ここはミイラが6体ほどあった。特に目をひくものはなかったが、立派なローマ時代の棺桶が庭に置いてあり、中をのぞいたら、骨が散乱したままだった。昔は地位のあった人だろうに、ひどいありさまだと思った。

帰りは一番大きいモスクの庭を通る。小さい子供が英語で質問してきた。なかなかうまい英語だ。こうして外国人と積極的に会話して勉強しているのだろうか。写真を撮ってくれとか、住所を書いてくれと言ってきたがそれは断った。

このモスクの入口は、ウマイア朝の特色であろうか、スペインのアルハンブラ宮殿と同じような微妙な美しさを持つ装飾が施されていて素晴らしかった。こんな小さな町なのに、こんな大きなモスクがあるなんて、昔は豊かだったのであろうか? 

ホテルに戻ると、どうもガイドブックが見当たらない。ないと困るので、Museumまで探しに行く。もう閉まっていたが、身振り手振りで通じたのか、どうにか開けてくれた。言葉がまったく通じない。ひととおり探したが、見つからなかった。ミュージアムの人がとても親切にしてくれたのだが、迷惑をかけてしまった。しかし見事に英語が通じないと、少し込み入ったことを説明する時は、本当に不便を感じてしまう。

18時の約束に10分ほど遅れてしまった。彼は来ていなかった。しばらく待ったが、宿に戻ることにする。妻の体調が悪かったので、ちょうどよかったと言えばちょうどよかった。

帰りに城壁の方に上がり、岩窟墓に登った。ここにもダルヤンなどで見たものとほぼ同じ墓がたくさん残っている。見事に岩をくり抜いて墓をつくってあった。ここからの景色が、また素晴らしかった。数えてみると、ここから視野に入るだけで14ものモスクがあった。モスクだらけだ。ここの人たちが親切なのは、宗教心のせいもあるのだろうか。

旧家屋街のたたずまいが趣深い。川があって、風が気持ち良い町。時の流れを忘れてしまうほどくつろぐことができた。上がってきた地元の母娘3人が一緒に写真を撮ろうと言ったが、娘の一人がいやだというのでやめにする。こっちの人はよく写真を撮ってというが、どうも送ってほしいみたいだ。カメラがあまり普及していないのだろうか。

帰りにオトガルで、明日のトラブゾン行のバスチケットを購入し、夕食を食べて宿に戻った。

本日の支出 約23.1USD

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