アジア旅行記 1997年8月13日 ヨルダン(アンマン)~イスラエル(エルサレム)

旅日記

1997年8月13日(水) Amman ⇒ Jerusalem  晴れ

朝早く起きて、アブダリステーションからバスに乗り、イスラエルとの国境を目指す。約1時間で国境に到着。バスを降りて出国審査を済ませる。4ヨルダンディナール(約5.7USD)也。ドルは両替が必要。ビザ延長時にもらった赤い半券の提出は要求されなかった。だが、バスに乗る時に係員に見られてしまい、パスポートにハンコを押されることになってしまった。

出国審査から、バスでしばらく走る。橋を渡り、今度はイスラエル入国審査。2~3の質問を受けた後、無事入国。両替を済ませる。ここから先はイスラエル。もういきなり物価が高くなる。シェアタクシーに1人あたり26NIS(シェケル)約8USDを支払い、約30分の道のりを行く。タクシーは、バスで一緒だったアメリカ人と日本人のカップルと、一人旅の大学生とシェア。砂漠の広がる土地を進む。途中にはパレスチナ人のものと思われる粗末なテントがいくつも建っていた。

エルサレムに到着すると、城壁の外から見える岩のドームが黄金色に輝いていた。ダマスカス門で降りて、アメリカ人と日本人のカップルと共に宿を探す。ハシミテホテルで料金を聞いたら高いので、タバスコホテルへ行く。ダブルルームが一部屋しか残っておらず、彼らに部屋を譲り、我々はドミトリーに泊まることにする。ドミはこの旅で初めてだ。寝るだけだから良いだろう。

外に出て1本道を抜ける。狭い道だ。抜けたところにシナゴーグがあり、進むとレストランがあった。シリアやヨルダンと比べると、すべて目が飛び出るほど高い。アルメニア人地区を通って、ダビデ塔に出たところにあるコーヒーショップでサンドウィッチを食べる。

食後にまたアルメニア人地区を歩く。博物館が閉まっていたので、ダビデ王(古代イスラエル王国第2代の王)の墓に行く。ユダヤ人たちが熱心に祈りを捧げている。少し迷うが、建物の2階が最後の晩餐が行われたと言われる場所になっている。行ってみると、この場所で韓国人の巡礼ツアーの一行が大声で賛美歌を歌っていた。

その後、この建物の裏にあるホロコーストミュージアムに入る。悲惨な写真の数々が展示されてある。血のついたユダヤ人の脂肪で作られた石鹸等も展示されていた。説明のビデオが流れていて、悲惨なシーンが流されている。最後に入場口の係員から博物館の感想を求められる。言葉に詰まっていると、係員がドイツ人の残虐さを話し始めた。「この博物館にはドイツ人は来ない。彼らはもっともっとユダヤ人が死ねば良いと思っている」と語る。だが、これでは、日本に原爆を落としたアメリカ人が、いまだにもっともっと日本人が死ねば良いと思っていると言うのと同じことではないだろうか。また、ユダヤ人は、イスラエルがパレスチナに対して行ったことを正義とでも思っているのだろうか?当然にナチスのユダヤ弾圧やホロコーストは許されるべきものでないが、彼らがパレスチナに対してやっていることはどうなのだろうか?そこのダブルスタンダードに強い疑問を持ってしまうのだ。

それから聖母マリア永眠教会へ行く。地下には桜の木と象牙で作ったマリア像が横たわっている。どこからともなく賛美歌のような合唱が聞こえてくる。金箔で彩られたモザイクが素晴らしい。話は前後するが、昼食後、聖ヤコブ大聖堂に行った。シャンデリア等、装飾が素晴らしかった。

その後、ユダヤ人街を通る。そして有名な嘆きの壁に行きつく。嘆きの壁とは、古代のエルサレム神殿の外壁で現在でも残っている部分であり、ユダヤ教徒の聖地である。黒装束の男たち、女たちが何度もお辞儀を繰り返すように、壁に向かってひたすら祈りを唱えている光景がこの場所の重要性を物語っている。

帰ってから夕食はホテルの下のレストランでとる。同宿になった日本人たちと話をする。部屋に戻るが、ドミトリーはあまりくつろげない。少し高くても個室の方がはるかに良い。

本日の支出 約29USD

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