アジア旅行記 1997年8月15日 イスラエル(エルサレム)

旅日記

8月15日(金) エルサレム Jerusalem 晴れ

エルサレムの夜は思ったよりも冷えた。朝は遅く出て、11時に合わせてダビデの塔に行く。11時から無料の英語ツアーがあるので参加する。ガイド氏が非常に熱心で熱く語ってくれるが、話が速すぎてよくわからない。頑張って理解しようとするが、どんどん集中力がなくなってくる。約2時間のツアーだった。イスラエルの歴史が順を追って展示されている、とても興味深い博物館だった。看板があって、イスラエルは世界の中心、エルサレムはそのイスラエルの中心だと書いてあり驚く。彼らは徹底してユダヤ中心主義だ。我々日本人の感覚では、何千年も前に追われた国を自分たちの国だと主張して占領するなど信じられないが、ユダヤ人にとっては、何千年も前の先祖が建てた神殿の壁に、今でも昨日のことのように祈りを捧げているのだから、何千年という時の流れなど意味のないことだろう。彼らは何千年も前のことに執着する。彼らの神に対する畏れと忠誠心なのだろうか。一神教の人の考えは、多神教の国の人間にはなかなかわからない。

その後、アルメニア博物館に行く。トルコ人によるアルメニア人虐殺の模様などを中心に展示してある。30万人が殺され、多くのアルメニア人が国外に逃れたため、今ではシリア、ヨルダン、イスラエル等にアルメニア人地区が存在する。アルメニアはトルコ、ロシア、ペルシャに挟まれて、地政学的に微妙な立場にあったのだろう。

それからVia Dolorosaに、キリストの十字架を担いで磔刑に向かう姿を再現した行進を見に行く。修道士を先頭に、十字架を担いだ人が歩き、巡礼者や観光客が後をついて行く。思ったほど荘厳な雰囲気はない。日本人観光客もたくさん来ている。すぐに列を外れて、ショッピングセンターに向かって歩く。聖墳墓教会の入口が見つかったので入ってみる。中で偶然、日本人修道士の方に出会う。この人のことはコイケさんから聞いていたので、翌日の朝9時に教会を案内していただく約束をして別れる。

ヤッファ門近くで両替をしていたら、イスラエルの入国の時に出会ったアメリカ人と日本人の夫婦に出会う。ショッピングセンターまで一緒に行くことにするが、かなり遠そうなのでやめることにする。奥さんは日本画の作家で、日本画の手法などについて話を聞くことができた。彼らは子どもができてもアメリカで育てることは絶対にしたくないそうだ。アメリカでは体力が並外れているか、ハンサムか、頭の良い人間以外は寂しい思いをするらしい。また、アメリカ人は表面的にはとてもフレンドリーで愛想がよいが、それは表面的なものだけで、人間的なつきあいは稀薄らしく、寂しいものらしい。それでLonelyという歌詞が歌にたくさん出てくるのだそうだ。どうやら日本もアメリカの後を追うことしかしていないようだ。また、中国の知識階層の教養の高さは、ものすごいレベルだそうだ。ビールを2杯飲みながら、良い時を過ごした。

本日の支出 約28.2USD

コメント

タイトルとURLをコピーしました