アジア旅行記 1997年6月2日 イスタンブール

1997年6月2日(月) 快晴一時曇り

今日は早く起きて李さんを見送る予定だったが、トイレに行っている最中に彼女たちは出発。妻が早くしてと呼びに来たが、残念ながら見送ることができなかった。

その後朝食、洗濯をしてお昼ごろに家を出る。宿のオーナーのアリから良いレストランを教えてもらう。Doy Doyという店。店を探していると、オベリスクの近くから音楽が聞こえてきた。舞台が作られ、そこでトルコの民族舞踊をやっていた。人だかりができていたので、見ることができないかなと思ったが、どうにかスペースがあり、ゆっくりと楽しむことができた。子どものダンスや、大人のコサックダンスのような踊りもあり、とても興味深く見ることができた。民族衣装の色合いがとても美しかった。

そしてDoy Doyを探し当て、シシカバブとスープ、そしてアイランを頼む。アイランとは、ヨーグルトミルクのことなのだが、コクがあり、少し酸っぱいがとてもおいしい。昨日のパーティーのお酒で喉が渇いていたので、3杯もおかわりをしてしまった。今日のシシカバブは本当に羊かと思うほど臭みがなく美味しかった。

今日は新市街を歩いてみた。電車でガラタ橋まで行き橋を渡る。その後、トュネルという世界で最も古い地下鉄のひとつだと言われる地下ケーブルカーで約3分。坂を駆け上がり、あっという間に世界一短い地下鉄は終わった。地上に出てみると路面電車があった。もう100年も走っている路面電車で、アンティークな車体が街の風景にマッチしていた。

駅近辺には、古楽器博物館があるせいか、楽器屋さんが多かった。そして駅のすぐ横には渋いカフェがあり、覗いてみるとJAZZのLIVE店だった。金曜と土曜の夜10時からライブをやるのだそうだ。

日本領事館に行くために電車で終点まで行って探す。トルコ人の親切さはうわさどおりで、ちょっと立ちどまって地図を見ていると、必ずどこかから“どうしましたか”と声をかけてくれて道を教えてくれる。素晴らしいことだ。今回も年老いた女性が親切に道を教えてくれ、日本領事館を発見。しかし運悪く他のところに移転してしまっていた。

しかたなく戻り、日土文化センターへと行く。短波ラジオの日本語放送の周波数などを教えてもらう。そこからガラタ塔に行き、イスタンブールの素晴らしい景色を目に焼き付けた。

ガラタ塔に行くまでに、ぶらぶらと市街を歩いたが、途中マーケットがあり、ムール貝のフライを食べた。なかなかの味だった。

ホテルに帰る前に、夜もDoy Doyに行く。スープとカバブwith sausaを食べる。羊肉をトマトソースで煮込んであった。またアイランを飲む。このレストランでニュージーランドのカップルに出会って話をした。のんびりしていて優しい人たちだった。いろいろと旅のアドバイスをもらう。インドではNoとさえ言ってはだめなこと。これは客引き行為等がものすごくしつこいのだそうだ。温厚な彼らでさえ、インドの終わりころは一切インド人を無視したのだそうだ。それがネパールに着いたらもう天国のように感じたそう。ネパールのトレッキング等について教えてくれた。ただ、ニュージーランドなまりが強く、時々何を言っているのか聞き取れなかったりした。住所を交換して別れた。

しかし日本語を話すトルコ人が多い。今日も2人会った。

本日の支出 約17.1USD

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