フジモリ元ペルー大統領の死を悼む

ペルーのフジモリ元大統領が亡くなった。とても残念です。

フジモリ氏が大統領だった1995年、私は1ヶ月余りペルーで過ごしたのだが、その人気の高さを肌で感じたことを思い出す。

フジモリ氏が大統領になった1990年頃のペルーはセンデロルミノーソなどの左翼ゲリラが猛威をふるい、経済は疲弊し7,000%ものインフレに苦しんでいた。

左翼ゲリラは活動資金を得るため、銀行はもとより、富裕層や中間層の家庭を襲撃して殺戮の限りを尽くしていた。話を聞いたペルー人の多くが、親戚の誰かを左翼ゲリラに殺されていた。

街中でも犯罪は多発し、不安を抱えた市民が、逆に犯罪者を血祭りにあげることも多々あったようだ。
そんな殺伐とした世の中を変えたのがフジモリ氏だった。左翼ゲリラとの戦いは戦争のようなもので、それを鎮圧するために軍部と手を結び、強権的な体制をとる必要があった。

ペルーは16世紀にスペインに征服され、それ以降少数派の白人が国と富を牛耳る構図が今も続く。先住民の多くは貧困層で、その経済格差は大きい。政治も白人の支配層が握り腐敗する。それで左翼ゲリラが台頭するのだが、左翼ゲリラもいつしか腐敗する。

フジモリ氏は左翼ゲリラを鎮圧したが、貧困層を救済する政治を行った。貧困地区に数多くの学校をつくり、誰もが教育を得る機会を創った。

しかしながら先住民を中心とした貧困層が力を持つと、その権力と富の基盤が危うくなる支配層と、支配層と手を結ぶアメリカの資本家層が、フジモリ氏に強権的な独裁者のレッテルを貼った。

そしてまた、フジモリ氏の周りも権力の中である意味腐敗していったのだと思う。

2007年に逮捕されてから、一度恩赦により釈放されたが、すぐに恩赦取り消しで昨年12月まで勾留されていた。

それはフジモリさんの人気の裏返しで、支配層の恐怖の現れだと思う。

偉大な政治家だったと思う。

ご冥福をお祈りします。

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