昔、メキシコで働いていた頃の話だ。休暇を利用して、メキシコ南東部にあるチャパス州の小さな村を訪れた。チャパス州はマヤ文明の影響を色濃く残した貧しい農民たちがたくさん住んでいる。私が訪れた村も、マヤ文化とキリスト教の文化が交差する、とても貧しい小さな村だった。この村へ行くために近くの町に宿泊し、その町から出る地元のツアーを利用した。
1日目は車で村を訪れた。村の中心にはそれほど大きくない教会があった。外見は古いカトリック教会のものだったが、中に入って驚いた。床には松葉が敷き詰められており、マヤ風の飾りつけがされていた。
キリスト教と現地の宗教が混ざり合った独特な世界が広がる中、ガイドから絶対に現地の人の写真を撮ってはいけないと注意を受けた。現地の人たちは、写真を撮られると魂まで抜かれると信じているらしい。
教会の次に墓地に行った。緑を基調としたカラフルな十字架の墓標が並んでいた。そのマヤ風の独特な十字架に魅せられ、何枚か写真を撮った。人の写真でなければ良いだろうという軽い気持ちからだった。
その晩のことだ。眠りに落ちた夢の中に緑の十字架が現れ、そこからいくつもの丸い霧のような物体が出てきて墓の周りを飛び回るのだ。それはイメージの中の霊魂そのもののようだった。何度も何度もうなされて、金縛りにあい、目が覚め、恐怖におののき、そして眠り、また同じ夢にうなされ、目が覚める。その繰り返しで、朝までほとんど眠ることもできなかった。
次の日のツアーでは、ひとりひとりに馬があてがわれ森を進んだ。慣れない馬に揺られ1時間ほど進んだだろうか。左手に落ちる20ｍほどの断崖絶壁が現れた。道は結構広いのだが、私の馬だけが崖ぎりぎりのところを歩く。いくら手綱を引いても崖ぎりぎりのところを歩いていく。馬のおなかのふくらみで道は見えないので、私が見ているのは20ｍ下の地面だ。崖の上を綱渡りしているような感覚になる。
恐怖に取りつかれて顔を上げたその瞬間、目の前に緑色の十字架が現れた。その瞬間だった。外れるはずのない鐙が転がり落ち、僕は馬上で体のバランスを崩した。
左に落ちたら転落死は免れない。このままでは殺されると感じた私は、反射的に反対側に飛び降りていた。顔面から地面にたたきつけられてアゴから鮮血がしたたり落ちた。ガイドが急いで車をとりに行き、病院まで連れて行ってくれた。アゴを5針ほど縫ってもらい、右手の筋を痛めてしまった。だが、そのくらいで済んで良かったと思っている。
突然現れた十字架は、境界に立てられた村の入口だったのだ。夢に出て来た霊魂たちからの”村に入るな！”というメッセージだったのではないかと思う。
私はお墓の写真を撮ることで、この村の霊魂たちの怒りを買ってしまったのだと直感的に感じていた。
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