先日Tsutayaの中古CDを大量に買ってしまったのだが、その中でSonny Rollins のvol.2を聴いて思った。自分はやはりこの手のジャズが大好きだと。最近は音楽自体あまり聴かなくなってきていたり、聴いてもキースジャレットやジムホールなどの白人系のミュージシャンを聴くようになっていた。
Sonny Rollinsについては、1990年頃の話だが、その頃住んでいたスペインのマドリッドでコンサートに行ったことを思い出す。音楽ホールのようなところでのコンサートだったこともあってか、間の抜けたような演奏で、何かがっかりした思い出がある。そんなこともあってか、Rollins積極的に聴くこともなくこれまで来たように思う。スペインから日本に帰国した後は、バックパッカーで世界中旅していたこともあり、また就職してからは仕事にかまけて、ジャズに真剣に向かいあうこともなく時間が過ぎてきたというようなこともあるのだが。
ところで、madridでのRollins のコンサートを一緒に観に行った友達のことを思い出した。確か父親がイギリス人で母親がフランス人の同年代の友達だが、誰もが知る世界的に有名なイギリスの大学で建築を学んだ人だったと記憶する。背が高くて、育ちの良い映画俳優のような二枚目だったのだが、なぜか夕食時になるとぶらっとやって来て、しょっちゅうお金のない私が寄せ集めの食材で自炊する味気ない食事をずうずうしくも食べていくのだが、パンやワインを持ってきてくれたり、何かに憎めない人だった。Rollinsのコンサートはその友人と一緒に観に行ったことを思い出した。その友達も、2か月くらいでパリに戻ったので、短いつきあいだったけど良い思い出だ。
しかし何十年ぶりかに聴いたVOL.2には衝撃を受けた。3曲目のMISTERIOSOのテーマが終わって始まるRollinsのアドリブの出だしには思わずうなってしまう。ワイルドな一撃だ。一気に音楽に引き込まれてしまう。すさまじい気合だ。セロニアスモンクのピアノもとてつもなくワイルドで良い。4曲目のREFRECTIONS も素晴らしい。
思ってみれば、高校から大学にかけて、JAZZ喫茶は自分の居場所だった。高校のときは熊本だったので、帰り道に今はなきジャズ・イン・ソワレに入り浸っていた。地下の暗い空間では、JBLのスピーカーがフルボリュームでなっていて、目を閉じるとそこで生演奏が行われているような臨場感に浸っていた。大学は世田谷区にあったので、主に渋谷のジャズ喫茶が自分の居場所だった。ジニアスは上京して2年目くらいには閉店してしまったので、音楽館やDuet、Swingなどによく行っていたのだが、そのころの自分が持っていたJAZZへの熱量をROLLINSやMONKの演奏を聴いて思い出してしまった。
今の世の中、なかなかJAZZの店は難しいのだろう。所謂ジャズ喫茶と呼ばれる店は姿を消してしまった。自分の居場所がなくったように思う。もしソワレのようなジャズ喫茶があれば、毎日でも通いたいと思ってしまう。Rollinsを久しぶりに聴いて、音楽に全神経を研ぎ澄まして集中できる日をもう一度取り戻したいなと思ってしまった。やはりそこが自分を解放できる居場所なのだろう。
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