1997年8月14日(木)エルサレム Jerusalem 晴れ
朝からツインルームはないか聞いてみるが、チェックアウトの時間まではわからないとのことだったので、12時頃にホテルに帰ることにして出かける。まず、エッケホモ教会(Ecce Homo Church)に行く。地下室に行くと、イエスキリストが、ピラト(ローマ帝国ユダヤ属州総督)に裁かれた場所とされる敷石の庭があった。昔ながらの敷石が残っている。また、2,000年前の貯水池には、冷たくて透き通った水があった。

そこから出て、しばらくVia Dolorosa(イエスが処刑宣告を受けて、ゴルゴダの丘まで十字架を背負って歩いた道)を歩く。第1留のイエスが有罪になったという場所がどこかなかなかわからない。探していると、車で道が塞がれたところがあり、車をよけて歩いていると、突然、男がへらへら笑いながら鉄のカートの先端部分を妻にぶつけてきた。普通のアラブ人のような感じだったので、誤ってぶつけたのだと思い、特に危いとも思わなかったが、ちょっと先に進んだら、再度その男が思いっきり妻にカートをぶつけてきた。妻のすねには黒アザができて、とても痛がっている。怒って怒鳴ると、まわりの人たちが寄ってきて、この男は普通ではないと言う。そうとは見えないので怒鳴り続ける。そうしたら女の人が来て、学校で冷水をかけないかと言いながら謝ってきた。とりあえず言われるとおりにしようと思い、移動しようとすると、道をふさいでいた車の中にはたくさんの障害者が乗っているのが見えた。車が停まっていた場所は、障害者施設だったようだ。
第1留がわからなかったので、第2留のイエスが十字を背負わされた教会から始めて、第5留まで行き、一度ホテルに戻る。やはり部屋は空かなかったようだ。別なホテルを探しに行く。2軒ほど見たが、プライベートルームはなかった。それで、ライオン門近くのBlack Horseと言うHostelに泊まることにする。洗濯をして、また出かける。

昼食をとり、神殿の丘に行く。El Aksaモスクは内部がダマスカスのウマイヤドモスクに似ていた。岩のドームはエルサレムのシンボルらしく、素晴らしい絨毯と装飾が施されていた。またイスラム教の規則が厳格で、男性が女性の肩に触れただけで、係員が大声で叫んで注意していた。注意された方も何で注意されたかわからずにきょとんとしていた。いくらイスラム第3の聖地といえども、これはさすがに厳しすぎるのではないかと思うほどだった。
イスラム博物館に行き、中をぶらぶらとする。15時30分には係員が出て来て、閉めるから出ていけとおこられる。岩のドームの青タイルと金の屋根のコントラストが美しい。出たところで、アンカラのシリア大使館で出会ったアルゼンチン人のカップルに出会った。彼らは北上し、イランへと抜けるそうだ。

また歩いていると、スペイン語の旅行会社があったので入ってみる。これまたアルゼンチン出身のユダヤ人がとても親切に対応してくれた。彼らはスペイン語圏の人々にユダヤのことを伝えようとしている人たちだ。アルゼンチンには25万人ものユダヤ人が住んでいるそうだ。
散歩を続ける。ヤッフォ門から出て、しばらく歩く。またスペイン人の団体を見かける。スペイン人の多さにはびっくりする。城壁の外には、少し裕福そうな家がある。夜はキリスト地区のピザ屋で食べる。とても雰囲気のあるレストランだった。今夜はビールをたらふく飲んだ。あとはフルバシナゴーグやバーントハウス等に行く。
本日の支出 約34.2USD
コメント