1997年8月22日(金) Tel Aviv ⇒ Jerusalem ⇒ Jericho ⇒ Amman
朝9時のバスでJerusalemへ向かう。約50分で到着。中央バスステーションから路線バスでダマスカスゲートまで行き、セルビス(小型バス)でAbudisまで行く。そこから乗り換えて、またセルビスでエリコ(Jericho)に向かう。エルサレムから約30kmほどであろうか。エリコはパレスチナ自治区になっているパレスチナ人の町。町の中心広場も、どこか田舎町にあるような広場だ。自治政府がおかれているのか、パレスチナ農業省や郵政省等の建物がある。警察の建物には、アラファト議長の写真が大きく飾ってある。ユダヤ人のイスラエルから、このパレスチナ人の町に来ると人がとても人なつっこく感じる。皆にこにことあいさつをしてくる。大きな椰子の木が茂っていて、南国そのものの風情だ。ここは、標高マイナス350mと、とても低い場所なので、高原のエルサレムから来るととても暑く感じる。本当の田舎町だ。タクシーの運転手が旧市街観光に行かないかと寄って来るがやめておく。1.5kmほど歩いてバスステーションに行く。バスステーションに入るのに2NIS取られる。理不尽な思いもするが、パレスチナ自治区への寄付と思えば気も晴れる。
バスに乗る。パレスチナ人の女の子たちが前の座席に乗っている。自分たちに興味津々と言った感じだ。一番上のお姉ちゃんがガムをくれたり、ひまわりの種をくれたりする。にこにこしてとても感じのよい子どもたちだ。ユダヤ人たちとは天と地の差があるほどアラブ人は感じが良く人懐っこい。
自治区を出るとすぐにユダヤ人の陣地があって、機関銃を据えて警戒している。バスにイスラエルの兵隊が乗り込んできて乗客をチェックする。一番前にはマシンガンを持った兵隊が立ち、乗客を見まわしている。イスラエルの旗が風にひらめく。とても威圧的な光景だ。
兵隊の乗客チェックが終わり、やっとバスが出発する。ほんの4~5kmだろうか。ヨルダンとの国境に到着する。イミグレーションでは係官の女(20歳くらいだろうか)が待たせに待たせた挙句、パレスチナ人を見下すような威圧的な感じでパスポートコントロールの中に入ってくる。そしてゆっくりゆっくり、ひとりひとりチェックをしながら出国業務を行っている。権力を見せつけているかのごとく。列に並んで、やっと出国審査が終わった。ヨルダンの入国は問題なし。またバスに乗りアンマンへ。物価が急に下がる。
アンマンでは、前に泊まったFalah Hotelに行くが、あいにく満室。空腹を我慢しながら宿を探すが、どこも安宿は清潔さに欠ける。Falah Hotelのような安くて清潔なホテルはなかなか見つからない。それでも比較的清潔なホテルマンソールを見つける。Falah Hotelより若干高いが、なかなか過ごしやすそうで気に入る。その後、レストラン カイロで久しぶりにマンサフ(羊のヨーグルト煮)を食べる。やはり素晴らしく美味しい。久しぶりに物価を気にせず食事をとることができた。帰りに妻が古着屋でジーンズとワンピースを見つけた。なかなかの掘り出しものだった。
本日の支出 約63.3USD


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