大分県の竹田市に行って、織部の茶の湯体験をしてきた。基本的にお茶の作法など全くの素人だ。お茶とキリシタンの関係がものすごく深いということを聞いて興味を持った。今回の企画は竹田キリシタン研究所の主催だ。ここのスタッフの方は知識が豊富で先日行った時に実に面白い話をたくさんしてくれた。
会は400年前の本物の黒織部の茶器などを使い、立ててくれる先生も当時の服を着用し、完全に当時を再現してくれた。織部の血脈が竹田の家老として伝わったことから竹田は古田織部と縁が深い。
茶の湯体験は、場所を間違えて予約時間に遅刻しそうになったため、ひとつ後の会にしてくれた。お昼時と重なったこともあり完全に自分一人の貸切状態。前の会はお茶に造詣の深く優雅な着物に身を包んだご婦人たちが十数人も部屋から出て来たので、この会に参加していたら、隅の方で肩身の狭い思いをすることになっただろう。
体験会では、先生には悪いなと思ったが、いろいろと質問しまくった。先生方はこんな無作法な人間に快く色々教えてくれた。
千利休の作法は弟子の高山右近の意見をたくさん取り入れているのだそうだ。高山右近と言えばキリシタン大名。キリスト教礼拝時の儀式でワインを回し飲みする作法とお茶の作法がほとんど同じだと教えてくれた。織部も利休の弟子。
お茶室自体がカトリックの礼拝所と同じ役割を果たしており、高山右近などは一日中茶室にこもって礼拝していたと教えてくれた。いくつかの本を読んで思うのは、戦国時代はある意味、神社仏閣等を含む旧体制と、キリスト教や先進技術を有する南蛮文明とのせめぎ合いだともいえる。グローバリズムの旋風が吹き荒れた時代だ。
キリシタン勢力と結びついた新体制側の共同体意識を醸成するためにお茶会が存在したのではないだろうか。いずれにしても、キリシタン布教などを容認するキリシタンシンパでないとお茶会には入れず、また、その儀式により結社的な絆を強めていったのではないだろうか。
信長やそのシンパは先進の武器や技術を手にするためにイエズス会とのパイプを強くした。彼らのほとんどがキリシタンか、そのパトロンと言っていいのではないだろうlか。貿易港堺で発展した茶の湯は、イエズス会と深く結びつく同胞意識の中で国を治めていこうとする新勢力の重要な儀式だったのではないだろうか。
お茶というのは侘び寂びの日本文化の代表のように考えられているが、千利休の茶の湯は西欧文明との接点として機能していたのではないかと思うととても興味深い。
お茶の後は能の説明となり、鼓の鳴らし方や笛の表現を教えていただいた。横笛の最初の強い音は、卑弥呼の頃のシャーマニズムの石ぶえの音だそうだ。日本の古代からの神を降臨させる音色として時代を超えて伝承されている音なのだそう。
また能の舞台表現は、同じフレーズでも速さで変化をつけるのだそうだ。普通の人、高貴な人、神と演じる対象のレベルに合わせ、より高貴な人に向かってテンポが速くなり情感が高まる。なるほどと思う。


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