天草コレジヨ館

歴史

2年程住んでいたスペインの歴史は個人的にとても興味がある。

ローマ時代から西ゴート時代、イスラムの征服からレコンキスタの時代、スペインが隆盛を誇っていた大航海時代から覇権を失っていく時代、そしてスペイン市民戦争からフランコ独裁時代、そして最近ではカタルーニャの独立運動激化まで興味は尽きない。

特にスペイン・ポルトガルが世界の中心だった16世紀から17世紀はその影響力が日本の歴史にも大きく影響を及ぼしている。

日本に来ていたのは主にポルトガルだが、1580年にポルトガルは、同君連合という形ではあるがスペイン・ハプスブルク家に併合されている。

このことが織田信長の晩年から豊臣秀吉にかけての歴史の変化の大きな要因になっているのではないかと思う。

そんな中、16世紀末の天正遣欧少年使節と17世紀初めの慶長遣欧使節団(伊達政宗による)の足跡は個人的に非常に興味深い歴史の一コマだ。

特に天正遣欧使節についてはポルトガル旅行中にリスボンからスペイン国境のビラビソーサまでその足跡を辿ったことがあるのでなおさらだ。

熊本県天草市河浦町にある天草コレジヨ館にはそんな天正少年遣欧使節の足跡が詰まっており素晴らしい。

キリシタン大名の大友氏、大村氏、有馬氏の名代としてヨーロッパを訪問すべく1582年に出国した四人の少年たちは、1590年バテレン追放令が出されキリシタンへの風当たりが強まる日本に帰国。

1591年から、1596年サンフェリペ号事件によりキリシタンへの迫害がさらに強まり、1597年に閉鎖されるまでの期間、天草市河浦町にあったコレジヨにて神学を学んでいる。

コレジヨはポルトガル語だが、スペイン語ではcolegioコレヒオと発音する学校を意味する単語だ。ここでは神学校ということだろう。

天草コレジヨと言うと何かよくわからないが、昔天草にあった当時ヨーロッパの大学と変わらない先端の学問を教えていた神学校のことだと思って良いだろう。

天草コレジヨには59人が学んだが、そのうち6人はポルトガル人、1人はイタリア人で、教授も大半が外国人だったそうだ。国際的な学び舎だったようだ。

こんな学校がなぜ天草の河浦町にあったのか?バテレン追放令により、権力者の目から逃れる必要があったようだ。

天草コレジヨ館には当時のガレオン船の精巧な縮小模型や遣欧使節団が持ち帰ったグーテンベルク活版印刷機、印刷されていた貴重な本の数々、当時の様々な楽器や使節団が着用した洋装などが再現展示してあり非常に興味深い。

竹パイプのパイプオルガンなどは、南米のサンポーニャという楽器の原型になったのか、それともインカ文明の楽器が逆に影響を与えたのか? 個人的な興味も尽きない。

秀吉が感動し3度もアンコールしたという4人の教会音楽の演奏も再現されている。

他、教材で用いられていたイソップ寓話の第1巻の紹介展示や、2階には、平和は子どもたちから未来へという思いで地元政治家の夫人が、世界各国に市松人形を贈った返礼として日本に贈られた世界中の人形が展示されていて、こちらも見応えがあった。

何よりも、施設の方からとても詳しくそしてわかりやすく館内を案内していただいたのがとても良かった。

やはり説明を受けることでその土地のことを知ることができる。そうすると、不思議なものでその土地に愛着を感じるようになる。観光交流というのは素晴らしいなと思います。

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