世界のトイレのはなし

世界のトイレ事情について少しだけ。

世界のトイレには、大きく分けて、和式系のしゃがむタイプと様式系の腰掛けるタイプの2種類があるように思う。東洋、日本からアラブ諸国までは和式系のトイレに分布されるように思う。

その中でも、イスラム圏からインドにかけてのトイレは、概ねトイレットペーパーなるものが置いてない。そのかわりに、左前方あたりに水道が設置してある。

水を容器にためて、水をかけながら手で洗い流すというのが一般的な作法だ。ただ、当然洋式風のトイレも普及しており、水で洗う習慣と洋式風腰掛けトイレを融合させたのが、ウォシュレットの原型になったようと思われる。

イスラム圏の洋式トイレには、ウォシュレットのように水がお尻めがけて噴射するためのノズルのようなものがついていて座ったままでも洗い流せるようになっているタイプもある。このような融合タイプがなければ、やはり、水で洗い流すのは和式スタイルでないとなかなか難しい。

日本も平安時代などは、水で洗い流すスタイルだったという話を聞いたことがある。お手洗いという言葉の語源は、案外こういう習慣があったことに由来しているのではないだろうか。

ところで、ヨーロッパはすべて洋式のように思われるが、スペインの南部アンダルシア地方などは長い年月をイスラム勢力に征服されていた歴史があり、私がスペインに住んでいた1990年頃でも、イスラム風のトイレに出くわすことがあった。このあたりに歴史と文化の変遷を感じて面白い。

ヨーロッパのトイレだが、既にローマ時代には、腰掛式の洋式トイレが存在していた。イタリアのポンペイの遺跡などに行くと、石の板に適当な距離を置いて穴が開いており、その下は水が流れている。仕切りがあったような形跡はないので、みんな並んで気持ちよく用を足していたのだろう。

しかし、時代は下って中世の頃のスペインでは、だいたいオマルのようなものに用を足したら、それを窓から「Agua va~」(行くぞー)と声をかけて、道路に投げ捨てていたようだ。

これが上から降ってくるわ、乾燥したらその粉塵が舞うわで、みんなマントと帽子を被って歩いていたそうだ。こんな衛生状態だったので、疫病が流行ると多くの人が死んでいた。

今は洋式トイレなのだが、日本のようにきれいではない。かなりの確率で便座がなくなっていることが多くうんざりする。また、マドリッドの街中のカフェのトイレに行くと、よくゴミ箱に山ほどの注射器が散乱していた。多くの若者が麻薬に手を染め、トイレの中で打っていたのだろう。街中を歩いていると、よく目が飛んだやつらがたむろしていたりして、危険を感じることがしょっちゅうだった。私が住んでいた頃はエイズ強盗というのが流行っていた。注射器を手に、「俺はエイズだ。この注射器を打つぞ。」と脅して金品を奪うのだ。笑い話のような話だが、本当の話だ。こんなところにもスペインの若者の失業率の高さに起因する、様々な社会問題を目の当たりにすることがある。

ところで、場所は変わって中国のトイレだが、北京オリンピック後は外国人観光客が行くところは概ねドアがついたのではないかと思う。しかし一般人が使用するトイレにはドアがついていないことが多いのではないか。少なくとも、私が3ヵ月にわたり中国を旅した1997頃はそうだった。

田舎の方に行くと、仕切りすらないのが当たり前だった。今は知らないが、昔は外国人が泊まれるホテルと地元の人が泊まるホテルは厳格に分けられていた。もちろん、交渉次第では一般の宿に泊まれることもあった。外国人が泊まるホテルでも、僕らが利用する安いランクのホテルになると、ほとんどトイレにドアというものがなかった。だいたい長い溝があり、それをみんなまたいで用を足すのだ。

ドアはないが、一応ひとり分ごとに仕切りだけは入っていた。みんなが、この溝に用を足すことになる。5分おきくらいに、一番前に仕掛けられた水のタンクから大量の水が流される。その溝にたまったものを一気に流してしまうのだ。私のような外国人には、ドアのないトイレなど恥ずかしいので、だいたい一番後ろの端っこのほうで目立たないように用をたすことになる。そうすると、その大量の水で流された大量のウ〇コがすべて自分の下を流れていくことになる。それはそれはすごい光景だった。

さらに田舎では、トイレの中にはドアも仕切りもなく、みんなあたり前のように隠すこともなく用を足していた。聞いた話によると、食べたものが出るのはあたり前のことで、なんで食べるときは隠さないのに、出すときに隠す必要があるのか?ということらしい。人間の当然の生理現象だろうということだ。

トイレひとつにしても、生活習慣も常識も考え方も違う。違いや多様性を受け入れることは難しいけど、すごく重要なことだと思う。

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