昔、旅をしていた頃、ビートルズが修行したインドはガンジス上流の聖地Rishikeshで1ヶ月程ヨガの修道場に通ったことがある。
仏陀が悟りを開いたBuddha gayaにも1ヶ月程居たが、ここは世界中の仏教寺院があり、天台宗などいくつかの宗派が共同でつくった日本寺もあるので、毎日朝夕勤行に参加しながら仏教関係の書物を読み漁っていた。
ネパールでは、ミャンマーのヴィパッサナー瞑想法を経験した。2週間ほど、誰ともしゃべってはならず、人と目を合わせてもいけない。毎日早朝4時か5時頃に起きて、夜の9時ごろまで、修道場でひたすら座禅を組むというか瞑想に耽る。途中、食事をとったり休憩時間はあるが、当然言葉を発してはならず、まわりの人とジェスチャー等でコミュニケーションをとってもいけない。
寝る前にわずかながら瞑想の方法についてのレクチャーはあるが、あとはひたすら無言の行が続くのだ。そんな中でも、頭は常に雑念の嵐。ただ、そうこうしているうちに身体のほうはものすごく敏感になってくる。
刺激がまったくないせいか、身体の細胞ひとつひとつが目を覚ますように敏感になる。人がくしゃみをしたり、屁をこいたりすると、その衝撃は爆風を浴びたような感じだ。昔の武術家たちが山ごもりした理由がよくわかる気がする。こんな修行を続けていると、多分神経が研ぎ澄まされて、ちょっとした気配でも身体全身で感じることができるようになるだろうことが実感できる。
結局自分の場合、修行をつまい食いしたような程度で何にもわかっちゃいないのだが、インドはすごく魅力あるところで、いつの日かもう一度、自分とひたすら向かいあう三昧な時間を過ごせたらありがたい。
書こうとしていたことからまた脱線し始めているが、そんな時代に澤木興道さんという禅僧の本に出会い感銘を受けた。
この澤木禅師は、駒沢大学の特任教授だった人で、熊本の大慈禅寺にも長く留まり、旧五高生などに大きな影響を与えている。宿無し興道と呼ばれ、本当に禅僧らしい生き方をした人だと思う。
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