1995年1月から約1年かけて妻とふたりでラテンアメリカを旅した。ブラジル、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、メキシコ、グァテマラ、ホンデュラス等を回った。所謂バックパッカーだったのだが、旅を終えて日本に帰る前に立ち寄ったメキシコシティーで、日系の現地旅行会社がツアーガイドをしているのを目にして面接を受けてみた。以前大手旅行会社の系列会社でツアーコンダクターをしていた経験もあったので、めでたく面接をパス。一度日本に帰った後、メキシコに戻りカンクンというリゾート地でツアーガイドになった。カンクンの地で妻と共に約1年間、カリブ海のアクティビティや、マヤ文明の遺跡のツアーガイドとして働いた。
カンクンは、カリブ海の素晴らしいリゾート地で、毎日カリブ海独特の青い海を眺めながら仕事に勤しんだ。特にスキューバダイビングをしたときの海の透明度は驚くばかりだった。透明度60mというところも多く、あまりの透明度に、水の中にいるという感覚を忘れて空中遊泳をしているような錯覚を覚えるほどだった。その透明な海を泳ぐ無数の色とりどりの魚たち。この世の楽園のようだった。
また、チチェン・イッツァーやトゥルム等のマヤ遺跡の面白さに加え、陸の自然も素晴らしかった。セノーテ(泉の一種)やジャングル、ジャングルに住む動物や昆虫たち。道路を横切るタランチュラ。海沿いのところにはイグアナもたくさんいた。
忙しい日本から来た人たちにとっては、天国のように感じる場所かもしれない。ただ、長くいるとやはりここはリゾート地。文化的な刺激が少なく、まだ若かったのでだんだんと退屈になってくる。リゾート地は忙しい生活があって初めてリゾート地としての輝きが出てくるのだと思う。
このカリブ海リゾートの生活に約1年で別れを告げ、日本に戻ることにした。日本に戻るとしばらくの間、妻の実家に世話になった。広島の地で生活をしながら、次の旅の計画を練ったのだった。
メキシコでは、日本並みの給料をドル建てでもらっており、また、当時はメキシコ通貨が暴落していたこともあり、1年間である程度の貯金ができていた。30歳を超えていたので、就職氷河期の日本で仕事にありつくあてもなく、また、海外の生活で感じていた、我がルーツ日本のことを深く知りたいという思いも強くあったため、日本を取り巻くアジアの旅に出かけることにしたのだ。
韓国からアシアナ航空でトルコに向かい、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、エジプト等の中東諸国を回った。当初は、トルコからイラク、イラン、パキスタンからインドに入る予定だったが、トルコのイラク大使館から妻との婚姻証明がなければビザが出せないと言われ、婚姻証明なるものを持ってきてもいなかったため、予定を変更して中東方面に向かうことにしたのだった。
中東を4カ月強かけて回り、エジプトからインドに飛び、インド、ネパール、中国、そしてタイやカンボジア等の東南アジアを旅して日本に戻ったのは1998年の秋だった。約1年半かけてのアジアの旅だった。
日本に帰ってもう四半世紀も経っているので、だいぶ記憶も色あせてきているのだが、このアジアの旅は毎日日記をつけていたことを思い出した。久しぶりに日記を開いてみると、少しずつ記憶がよみがえってくる。もう昔の話なので、今では世の中が大きく変化してしまっているようにも思うが、日記を元にして、当時の世界に対して思ったことを少しずつブログに書いていきたいと思う。
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