アジア旅行記 1997年5月26日 日本から韓国へ

1997年5月26日(月)

 いよいよ旅が始まった。今日は8:30に目が覚める。両親からの電話で「元気で行ってらっしゃい」とエールをもらう。部屋をかたづけ、10時頃お世話になったお義母さんにお礼を言い、お義父さんに空港まで送ってもらう。雨が強かった。前を走る車のはね散らす水しぶきで前が見えなくなるほど。高速道路で約1時間、広島空港に到着する。

チェックインまで時間があったので時間をつぶす。買ったばかりの中古の一眼レフカメラで初めて写真を写す。いつの間にかいなくなっていたお義父さんが帰ってきて、ビールやつまみを持たせてくれた。チェックインを済ませた後、お義父さんに食事をごちそうになる。カキフライ定食を食べる。広島のおいしい牡蠣を食べ納め。お義父さんと別れ、出国審査。やっと旅が始まるのだと感じる。

昨夜のつまみの魚の骨が喉に刺さっているのか、喉がちくちくするが、もう一度電話でお世話になった方々や両親に挨拶をする。

搭乗したアシアナ航空161便が10分遅れの13:50に広島空港を飛び立った。15:15 あっという間に韓国のソウルにある金浦空港に到着。入国審査を終え、荷物を受け取り、税関を通過する。銀行にて両替。アシアナ航空のカウンターでリコンファームを済ませ、観光案内所にて宿を紹介してもらう。Woo sung jang motel というホテルで料金は2万ウォン也。当日のレートで1泊22ドル程。

地下鉄に乗り中心地へと向かう。途中韓国人の紳士に声を掛けられしばらく話をする。ハングルのフレーズをいくつか英語で教えてもらう。とても感じの良い人だった。

ホテル近辺に着いた。看板がすべてハングルなので、どのホテルかさっぱり見当がつかない。そうこうしているうちホテルのおばちゃんに呼び止められた。予約者だとわかったようで、ホテルはここだと教えてくれた。日本語がわかる方だったのでとても助かった。部屋に入るとオンドルの部屋だった。韓国らしくてラッキーだった。

部屋に荷物を置いて、明洞まで散歩する。人の感じも街の感じも日本とよく似ているのに、表示がすべてハングル。見慣れた街のようで、実は何もわからないという奇妙な錯覚を覚える。明洞は若い男女でいっぱいだった。面白いことに、女性がことごとく女性同士で手をつないだり、腕を組んだりして歩いている。ほぼ全員がだ! 習慣の違いに驚く。

明洞にはファッション関連の店がたくさんあった。しかもかなり安く感じた。街をひととおり歩き、レストランに入った。ハングルメニューを見ても何が何だかわからなかったが、店員さんが英語と日本語の入ったメニューを持ってきてくれた。妻が会話本を片手に“お薦め料理”をたずね、店員さんがお薦めしてくれた料理を頼んだ。ひとつはクッパ。ひとつは唐辛子で真っ赤になった麺。辛い方を食べたので汗が噴き出す。相当な唐辛子が入っているのだろうけど、口の中ではそれほどの辛さを感じず、適度な刺激で美味しかった。

食事の後、しばらく散歩をして、ホテル近くで、あんまんや肉まん、卵のギョーザを食べてホテルに戻った。オンドルが暖かく、部屋の中は半そででも暑いくらいだ。洗濯とシャワーを済ませ、テレビを見ていたら、隣の部屋の人に怒鳴られた。

ともかくこれが旅の初日。良い旅となりますように。お義父さんに頂いたビールで一日を締めることにした。

今日の支出 ひとりあたり約17.5USD也。

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